熊野 徐福伝説の現地を走行する・・・
紀勢線新鹿(あたしか)駅と波田須(はだす)駅の間、徐福(じょふく)が漂着したとされる矢賀(やいか)の磯を眼下に見て列車は走ります。この写真で白く波立つ浜のあたりです。徐福は紀元前3世紀中国 秦の始皇帝に仕えた方士(神仙思想の行者)です。始皇帝の命をうけ、不老不死の仙薬を求め、東方海上に大船団で出発しましたが、嵐のため徐福の船だけが矢賀の磯に流れ着いたといわれます。
当時、そこは3軒の家しかありませんでしたが人々は徐福を手厚くもてなしました。徐福は波田須に住み着き、人々に、農耕、土木、捕鯨、医薬、焼き物の技術など伝えたといわれます。徐福が焼き物を焼いたところは釜所(かまどころ)と呼ばれ、写真の左手前に見える山の中にあります。その山伝いに線路を越えた、ちょうど列車左後方で写真の切れたあたりは、矢賀の蓬莱山とも呼ばれ、そびえ立つ一本の古木に抱かれる風情でたたずむ徐福の宮や、徐福の墓が祀られています。